みやま市で毎年1月20日に舞う、福井で途絶えた幸若舞|移住して、校舎も生ごみももう一度使う

公開日: 2026-09-29
みやま市/繰り返すことで残してきた市/① 毎年舞う/② 秋に迎え、冬に訪ねる/③ もう一度使う

「幸若舞は室町時代に発祥し、戦国大名に庇護され、特に織田信長をはじめ豊臣秀吉・徳川家康など、時の権力者に好まれました。幕末になると、時代の流れや趣味の変化などにつれて次第に衰え、発祥地の福井県丹生郡朝日町(現越前町)でも明治維新後に絶えましたが、本市の瀬高町大江地区では、『大江のめえ』とよばれて国内で唯一、昔の姿をそのままに伝えています。」福岡県みやま市が、2026年1月に報道機関へ配った案内に添えている説明です※1。

芸能は、それが生まれた土地でいちばん長く続くものだと、私は考えていました。

ところが、舞が生まれた福井県越前町は、2025年12月号の広報にこう書いています。「現在、この舞の原型はみやま市瀬高町の大江地区にしか残っていません」※2。生まれた町のほうが、自分の広報で大江の名を挙げているのです。

では、この町は、何を、どう繰り返しているのか。

手がかりは、市が小学校のグラウンド跡に建てた施設の名前です。「ルフラン」、フランス語で「繰り返し」を意味します※3。舞は1787年に伝わり、いまは1月20日の奉納が毎年続いています。舞の縁は、越前町の子どもを秋に迎え、冬に訪ねる往復になりました。閉じた小学校の校舎と台所の生ごみは、もう一度使われています。

この記事では、自治体と国が発表している一次資料を読んで見えてきた、

という3つの柱を、住む人の暦も交えて解説します。モノサシは一つだけ。この町は「何を、どう繰り返しているか」。締めくくりに、私の見立てを置きます。

みやま市の幸若舞|1787年に伝わった舞を、1月20日の舞堂で

一つ目の柱は、1787年に伝わった舞を、1月20日に毎年舞うことです。

舞が大江村に伝わったのは1787年、と市は書いています※4。国の重要無形民俗文化財になったのは、それから190年ほどのちの1976年です※1。

奉納は毎年1月20日の正午から、大江天満神社の境内の「舞堂」で、幸若舞保存会が行います※1。3人が並んで扇を持ち、長い物語を分け合って語る芸だ、と文化庁の文化遺産オンラインは説明しています※5。

市は毎年、報道機関への案内に、その年の演目と舞う人を載せています。5年分を並べると、正午の一曲目は、毎年小学生が受け持っています(図1)※6。2025年までは、2曲目も小学生の番でした。

幸若舞/1月20日/正午の一曲目。冬の木造の舞台で、扇を持つ小さな子ども4人の後ろ姿。特定の舞堂や人物を再現しない場面。
図1 1月20日、正午の一曲目(※6)

稽古は秋の終わりの「小屋入り」から始まり、1月20日の奉納の日までほぼ毎日続く、とみやま市公式観光サイトは紹介しています。そのページで、青年部の一人はこう話していました。「どの曲も似たように聴こえるかもしれませんが、曲ごとに艶の付け方やタイミング、呼吸などが違うんですよ」※7。毎年同じ日に舞われる曲にも、曲ごとに違う呼吸があるようです。

青森県八戸市は年表に、1979年にえんぶりが国の重要無形民俗文化財になったことと、2019年に2月17日を「えんぶりの日」と定めたことを並べています※8。

みやま市と越前町|秋に迎え、冬に訪ねる、舞の縁の往復

二つ目の柱は、秋に迎え、冬に訪ねる、越前町との往復です。

旧瀬高町と旧朝日町は、1994年、幸若舞の縁で姉妹縁組を結びました。越前町には、幸若家の寺である龍生寺をはじめ、幸若家の歴史を伝える古文書や、物語を読み物にした「舞の本」が伝わっている、と越前町は広報に書いています※9。舞は大江に、文書は越前に残りました。

2025年の秋、越前町の子ども14人がみやま市に泊まり、みやまの子どもたちと一緒に、幸若舞の講話を聞きました※2。舞の生まれた土地の子どもが、その舞の話を、大江のある市で聞いたことになります。

越前町との往復/秋に迎え、冬に訪ねる。旅の荷物を持つ子どもたちの小さな後ろ姿が、秋の田園の道を歩く場面。特定の交流参加者を再現しない。
図2 秋に迎え、冬に訪ねる往復(※10)

冬には、向きが逆になります。越前町を訪れたみやまの子どもたちは、織田文化歴史館で「両市町をつなぐ『幸若舞』を学習しました」と越前町は広報で伝え、同じ3日間を「昨年秋に交流した町内の児童たちとの再会を喜び合いました」と書いています※11。

みやま市は広報で、この往復を「幸若舞が縁で毎年行われているもの」と紹介しています※12。秋に迎えた相手を、冬に訪ねる。その一往復が、毎年続いています。

北海道の上砂川町も、町を開いた人たちの出身地である福井市の鶉地区へ、隔年で小学生を送ると掲げています※13。福井へ向かう往復は、九州と北海道の町で、毎年と隔年の暦で続いています。

みやま市で暮らす一年|閉じた校舎と台所の生ごみを、もう一度使う

三つ目の柱は、閉じた校舎と台所の生ごみを、もう一度使う一年です。

広報みやまの2026年1月号には、年末年始のごみの表の下に、休みのあいだは臨時の生ごみ桶を「ルフランカフェ(旧山川南部小学校校舎前)」に置く、と書かれています※14。

同じ号のお知らせカレンダーの20日の欄には、「幸若舞(12:00~ 大江天満神社)」とあります※15。住む人に配られる1冊の広報の上で、校舎の前の桶と、1月20日の舞が並んでいます。

校舎のグラウンド跡には、市のバイオマスセンターがあります。名前の「ルフラン」について、市は、焼却していたものを再資源化し「繰り返し使用していこうと気持ちを込めて名付けました」と説明しています。建てる計画のとき、当時の市長は、廃校を生かすことで「懐かしい校舎が市民のための憩いの場として生き返るのです」と語ったと紹介されています※3。校舎はいま、日替わりの店長が営むカフェなどに使われ、利用者から開業・起業した人も「たくさんおられます」と市は書いています※16。

台所の生ごみは、燃えるごみと分けて桶で集められます。生ごみを入れる袋は買わずに済む、と移住定住サイトは案内しています※17。集めた生ごみはセンターで発電に使われ、液肥「みのるん」に生まれ変わります。みのるんで育った米「つやおとめ」などは学校給食に使われている、と広報みやまは書いています※18。

もう一度使う/台所の生ごみ/液肥「みのるん」。校舎を使ったカフェの外に生ごみ回収桶が置かれ、田んぼが広がる場面。特定の施設や商品を再現しない。
図3 台所の生ごみを、もう一度使う(※19)

2026年2月14日には、MIYAMAXの環境講演会で「生ごみ分別アワード」の表彰がありました※12。収集のときに桶の中を確かめ、量と、プラスチックなどが混じっていないかを点数にして、上位の行政区を表彰する仕組みです。1位から5位の副賞は、リサイクルのトイレットペーパー「くすろーる」です※20。同じ筑後の大木町も、生ごみの分別をはじめ29種類もの分別に取り組んでいると書いています※21。

2026年6月の広報みやまで、環境の分野を受け持つ地域おこし協力隊の隊員は、みやま市の「地域でエネルギーを生み出す取り組み」に感動したことをきっかけに移住した、と自己紹介しています※22。移住の支援を使って越してきた人の声には、「九州の真ん中なのでどこにでも行きやすい。交通の便も非常にいい。」という一言もあります※23。

私の見立て|みやま市は、繰り返すことで残してきた市

モノサシの問いに、3つの柱で答え直します。毎年くり返すのは、1787年に伝わり、いまは1月20日に舞堂で奉納される舞と、秋に迎えて冬に訪ねる越前町との往復です。もう一度使うのは、閉じた校舎と台所の生ごみです。えんぶりの日を定めた八戸市にも、隔年で福井へ向かう上砂川町にも、それぞれの町の暦があります。

私の見立てはこうです。みやま市は、繰り返すことで残してきた市です。2026年1月、市は舞の案内に「受け継がれた240年の芸能 今に伝える」と見出しを付けました※4。その月の20日、舞堂では「日本記」などが上演された、と広報みやまは伝えています※24。

繰り返すことで残してきた市/1月20日。冬の田園にある木造の舞台と、手前の木の縁に置いた扇。積雪や人物はなく、特定の舞堂を再現しない場面。
図4 1月20日の舞を、繰り返し残す(※24)

みやま市を数字で見たい人へ|人口・仕事・冬・住まいの支えの要点

項目 数字
人口 33,609人(2026年)※25
世帯 14,613世帯(同)※25
農業 13.6%(2020年)※26
製造業 15.0%(2020年)※26
医療・福祉 16.6%(2020年)※26
1月の日最低気温 1.2℃(大牟田)※27

移住と住まいの支え(2026年9月時点の市のページ)

人口の推移と年齢別の出入りはみやま市の人口ページに、暮らしのデータはみやま市のページにまとめてあります。助成金の金額と条件は年度で変わるので、申請の前に市の現行ページで確かめてください。人口と世帯は2026年1月1日、働く人の割合は2020年の国勢調査、気温は市の外にある大牟田観測点の日最低気温の平年値(1991〜2020年)です。幸若舞の演目と舞う人は、市が毎年1月に報道機関へ配る案内の予定の欄から数えました。

出典リンク集

本文の※番号に対応する資料です。括弧内は資料の頁・年と、確認した日付です。1つの番号に資料が複数あるときは「 / 」で区切っています。

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