檜枝岐村に移住して、村人だけで演じる歌舞伎の隣で暮らす|子役は8代目、村民の約6割は一度出て戻った人

公開日: 2026-10-09
檜枝岐村/村を出た子の帰りを待つ村/① 家で続く子役/② 学校で演じる生徒/③ 戻ってくる村

「子役を演じる座員は、8代も続く家系の子供さんです。(6、7代目も在籍中)」福島県檜枝岐村の歌舞伎一座、千葉之家花駒座の座長は、子役についてそう答えています※1。

同じ家で芸を受け継ぐなら、後継ぎの話は家の中で完結する。私はその先を考えていませんでした。ところが、2023年の座長の回答では、一座は中学生にも歌舞伎を教え、文化祭で演じてもらっていました。座員は6歳から78歳まででした※1。

では、なぜ家に続く芝居を、学校の中学生にも教えるのでしょう。答えは、家で子役を育て、学校で芝居を教えるこの村でも、子どもは高校進学でいったん村を離れ、その先で戻る人が村を支えているからです。2021年の村長寄稿では、村民の約6割がUターンしていました※2。一座は、帰村して仕事を見つけた人に加わってほしいと望んでいます※1。

この記事では、自治体と国が発表している一次資料を読んで見えてきた、家で続く子役、学校で演じる生徒、一度出ても戻ってくる村という3つの柱を、座長や観客、学校の声も交えて解説します。モノサシは一つだけ。次に演じる人を、誰が育て、どんな暮らしの先に望むか。締めくくりに、私の見立てを置きます。

檜枝岐村の歌舞伎と家族|子役の出る幕が人気

一つ目の柱は、同じ家の子どもが子役を演じることです。村の歌舞伎の始まりは、伊勢参りの道中で見た芝居を村人が持ち帰り、広めたことだとされています。いまも上演するのは、演者から裏方まで村の人々。鎮守神社の境内に舞台があり、せり立った斜面の石積みの客席から、280年以上の歴史を持つ芝居を見られます※3。

その芝居を受け継ぐ千葉之家花駒座は、1922年に結成されました。2022年6月24日には100周年の特別公演を開き、「絵本太功記 尼ケ崎の段」を演じています※1。

翌年、2023年の座長の答えでは、一座の約30人は公務員、公共施設職員、自営業など、それぞれに本業を持っていました。全員がそろって稽古するのは難しく、比較的時間を取れる冬に集まっていました。演目と配役は年末に決まり、主な稽古は1月末から3月末、休日・祝日を除いて続きます※1。

冬の夜、稽古は午後7時から9時ごろまで、悪天候のときは中止です。寒い冬場の練習はつらく、新しい役に取り組む人は苦労します。上演日を迎え、楽屋で化粧が始まると緊張が高まり、終演後の手締めでは笑ったり泣いたり。辛い練習を乗り越え、やり切ったという大きな達成感を味わえると答えています※1。

その舞台で人気があるのは、子役の出演する幕だと座長は答えています。挙げられた演目には「奥州安達ヶ原」の「文治館の段」「袖萩祭文の段」などがありました※1。

2025年8月19日の福島テレビの報道でも、8代にわたって継承する家があると伝えられました。上演されたのは、源平合戦を題材にした「一之谷嫩軍記 熊谷陣屋の段」。千葉県から来た観客は、「びっくりしました。これだけのものを残しているというのがすごいなと思った」と話しました※4。

8代にわたって継承/観客/熊谷陣屋の段。深い山あいの茅葺きの舞台と、斜面の石積みの客席。観客と舞台上の人物は後ろ姿。
図1 8代にわたって継承(※4)

子役を受け継ぐ家の外でも、子どもが演じる機会は続いています。では、一座は学校でどのように中学生へ教えてきたのでしょう。

檜枝岐村の学校と歌舞伎|初回の練習は道具の搬入から

二つ目の柱は、一座の座員が学校の中学生に歌舞伎を教えることです。2023年の回答では、指導は15年程前から続いていました。村の歌舞伎を次世代につなぐため、座員が教え、文化祭で演じてもらっています※1。

学校で生徒が芝居を始める場面は、今年も残っています。2026年10月8日、檜枝岐小中学校では、翌月の文化祭で披露する歌舞伎へ向けて初回の練習を行いました。生徒たちがまず取りかかったのは、必要な道具を学校へ運び込むこと。重いものも、生徒たちで協力して搬入しました※5。

道具の搬入から/重いもの/初回の練習。山あいの学校へ、木箱と巻いた布や棒を協力して運ぶ生徒の後ろ姿。
図2 道具の搬入から(※5)

搬入を終えると、残った時間を使って練習を始めます。2・3年生は昨年も歌舞伎を経験していて、分からないところを先輩に聞きながら進めました。大人が教えてきた学校で、いまは生徒も前年の経験を頼りにしています。学校の言葉は、「今年最初の練習とは思えないほど、どの役もすでに自分のものにしていました。」11月の文化祭(予定)を前に、「本番が今からとても楽しみです。」と結んでいます※5。

子どもの芝居を、次の担い手につなげる。檜枝岐村では座員が生徒を指導し、山形県鮭川村では、子ども歌舞伎をきっかけに保存会に入る若者が出ていると、村は書きます※6。

家に続く子役と、学校で歌舞伎を覚える生徒。その生徒が高校へ進むときには、一度村を出ることになります。村内にあるのは児童館と小学校、中学校までで、進学者が多い会津若松市には、村営の寄宿舎「尾瀬寮」があります※7。

学校で芝居を覚えた子どもも、高校では村の外へ。座長は、その子どもたちが村へ戻る先をどう考えているのでしょうか。

檜枝岐村への移住と仕事|一度出て、戻ってくる村

三つ目の柱は、一度村を出た人が、戻って仕事を持ち暮らすことです。進学で村を出る子どもについて、2023年の座長は、高校ではいったん村外へ出てしまうが、帰村して仕事が見つかれば一座に入ってほしいと答えています※1。

2021年12月、村長は、一度は村を離れても約6割の村民がUターンして村を支えていると書きました。2020年度の人口動向では、21〜49歳の約6割が村出身者でした※2。

戻ってくる村/約6割/Uターン。深い山あいの小さな家並みへ、荷物を持って歩く人の後ろ姿。約6割は2021年の村長寄稿にある村民のUターンの割合。
図3 戻ってくる村(※2)

村で生まれ育った人は、山形の高校、東京の大学と鉄道会社での勤務を経て、2019年に地域おこし協力隊として戻りました。2021年からは廃業予定だったキャンプ場を引き継ぎ、村で経営していると県のコラムは紹介しています※8。

外から、歌舞伎や伝統工芸が残っていることを決め手に、この村を選んだ人もいます。神奈川県生まれで移り住んだ人は、2015年に地域おこし協力隊として移住し、3年間の任期のあとも村に住んで、曲げわっぱ職人、尾瀬ガイド、サンショウウオ漁師と、季節ごとに複数の仕事をしていました※8。

ここで働く家族の日々について、役場と金融機関に勤める、2017年に横浜市から妻の故郷へ移り住んだ夫妻は、夏には帰宅後に子どもと外で遊べるようになり、「移住前の生活では考えられない時間を過ごしています」と話しています※7。

私の見立て|檜枝岐村は村を出た子の帰りを待つ歌舞伎の村

次に演じる人を、誰が育て、どんな暮らしの先に望むか。客が見たのは、家に重なった8代。学校で動いたのは、道具を運び、先輩に聞く生徒。村民の約6割が歩んだのは、一度出て戻る道のりでした。

子どもの芝居から次の担い手へ、という道筋は、檜枝岐村では座員が教える学校に、鮭川村では若者が入る保存会につながっています※6。

私の見立てはこうです。檜枝岐村は、村の人が家で子役を育て、学校で芝居を教え、村を出た子の帰りを待つ村です。

帰りを待つ村/子役/芝居。雪の季節の山あいの家並みと、軒先の芝居の衣装、木箱、道具。
図4 帰りを待つ村(※1)

「帰村して仕事が見つかれば、是非入座してもらいたいです。」2023年にそう答えた座長のもとには、8代目の子役と、その前の6・7代目が一緒にいました※1。2026年10月8日、生徒たちはまた、学校へ重い道具を運び込んでいます※5。

檜枝岐村を数字で見たい人へ|住まい・仕事・冬・観劇の要点

村外出身者の定住も受け入れるため、村は住宅を整備してきました。村営住宅の単身者向けの例を表にしました※9。

村営住宅 月額家賃
単身者向け1K 12,500円
単身者向け1DK 16,000円

人口の年齢構成や推移は檜枝岐村の人口ページ、産業と暮らしの数字は檜枝岐村のデータページで見られます。公演時刻や滞在料金、住宅の募集状況は、出かける前に各窓口へ確かめてください。

出典リンク集

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