弥彦村へ移住して、コウノトリとして家を建てる暮らし|4年生が一人一鉢の菊で祭りの作り手を継ぐ村

公開日: 2026-09-28
弥彦村/帰る人と来る人に別の名を付けて待つ村/① サケとコウノトリ/② 家と仕事/③ 子どもが育てる菊

新潟県の弥彦村では、村に戻ってきた家族を「サケ」、初めて来た家族を「コウノトリ」と呼びます。移住の補助金の要綱にある二つの名で、サケには30万円、コウノトリには60万円です※1。

私は、移住の補助金というものは、来た人に「転入者」という一つの名前を付けて額を配る書類だと思っていました。

ところが、この村は、来る人を二つに分けて魚と鳥の名で呼び、初めて来る側に倍の額を置き、当初の枠を超えて使っています。補助は2024年4月に250万円の枠で始まり※2、2年目の2026年3月には、議会が580万円を足す補正予算を可決しました※3。

では、この村は、魚と鳥の名で誰を待っているのか。

要綱が始まる1か月前、2024年3月の村議会で、村長は、生産年齢人口を中心の相手にした転入・移住の助成金を大幅に広げると述べ、移住と転入を増やすには「全ての施策を総動員し、真ん中に据える」ことが重要だと答えています※4。いまの要綱が待つのは、村内に家を建てるか買う、どちらかが40歳以下の夫婦を含む世帯と、18歳未満の子どもがいる世帯です※1。その人たちに、魚と鳥の名を付けた。来る人には、使えると分けられた空き家と、燕三条の隣の仕事があり、育つ子どもには、村長が「離れて初めて気づく価値」に数えた燈籠まつりと菊まつりがあります※5。

この記事では、自治体と国が発表している一次資料を読んで見えてきた、

という3つの柱を、移住の助成金の実額や冬の暮らしも交えて解説します。モノサシは一つだけ。この村は「二つの名で、誰を待っているか」。締めくくりに、私の見立てを置きます。

弥彦村のサケとコウノトリ|要綱の二つの名と、当初の枠を超えた2年

一つ目の柱は、サケとコウノトリの決まりと、当初の枠を超えた2年です。

補助の要綱は、受け取る世帯を二つに分けています。世帯の誰か一人でも過去に村に住んだことがあり、移る前の2年は村外にいた世帯が「サケ(Uターン)」。世帯の全員が村に住んだことのない世帯が「コウノトリ(Iターン)」※1。サケは生まれた川へ帰る魚。世帯の誰かが一度この村に住んだことのある家族に、その名が付いていると私は読みました。基本の額はサケ30万円、コウノトリ60万円で、どちらにも子どもや新築などの加算があり、足した上限はサケ50万円、コウノトリ100万円です※1。

サケとコウノトリ/サケ(Uターン)/コウノトリ(Iターン)。山裾の家並みと田んぼ、川を帰るサケと川岸のコウノトリを、世帯の呼び名の象徴として描いた場面。
図1 サケとコウノトリで世帯を呼び分ける(※1)

決まりのその後は、数字が語っています。2024年4月の当初予算に、この補助金は「新」の印つきで250万円ありました※2。1年たった成果の報告書には、交付8世帯・610万円。同じ年度のうちに、対象を子育て世帯にも広げる要綱の改正が行われています※6。2年目は「拡」の印つきで枠を広げ※7、2026年3月5日の村議会で丸山浩議員が、さらに申請が続いていると述べたとき、議会には580万円を足す補正予算の議案が出ていました※5。

年度・区分 額・世帯
2024年度の当初の枠 250万円※2
2024年度の交付 610万円・8世帯※6
2025年度の当初の枠 400万円※7
2025年度 1月末まで 8世帯+申請4※5
2026年3月の補正 +580万円※3

議案は3月19日に可決され、委員会での村の答えは、移住支援だけでなく子育て支援や産業の活性化を合わせて「弥彦村を選んでいただけるよう努めたい」でした※3。魚と鳥の名で呼び分けた補助は、1年目に当初の枠を超えて使われ、2年目は当初の枠では足りずに補正で足されました。2025年4月の広報は住民に、家族や知り合いでU・Iターンを考える人がいたら案内してほしい、と頼んでいます※8。

帰ってくるものを、自分の町の言葉にした町は、ほかにもあります。北海道の興部町は、漁港の中の海中飼育施設でサケとマスの「回帰率の向上」を促すと言い※9、京都府の与謝野町は、野田川に鮭が遡上し、水田にコウノトリが飛来することを、町の人々が誇りとする自然に数えています※10。率で書く町もあれば、実物で書く町もあります。

弥彦村でコウノトリが降りる家と仕事|燕三条の隣、使えると分けられた空き家

二つ目の柱は、コウノトリが降りる家と仕事です。

2年目に補助を受けた転入8件は、大戸地区が3件、麓・峰見・上泉・矢作・弥彦の各地区に1件ずつ※3。コウノトリの60万円は、家を建てるか買うことが条件でした※1。その家の候補の一つが、村の空き家です。2018年度に数えた空き家は153戸で、目立った傷みがないか小さな修繕で使える家が122戸、8割ありました※11。2024年度に空き家バンクが作り直され、2025年3月末までの登録は延べ13件、成約は1件※12。2026年9月の時点で、バンクには売買の物件(空き地を含む)13件と賃貸1件が載っています※13。

家を決める前に住んでみる家もあります。JR矢作駅から歩いて5分の1LDKで、2泊3日1万円から10日以内※14。村が2026年9月に伝えた滞在の記録では、四国出身の50代の女性が、9泊10日の間に物件の内見から契約までを済ませています※15。

仕事は、村の中だけで探すものではないようです。2020年の国勢調査では、村に住んで働く人の27.0%が製造業で、農業・林業は7.0%※16。夜の人口に対する昼の人口は86.8%です※17。村の移住の案内も、燕市や三条市など近くの市町村に通う人も多い、としています※13。金属加工で知られる燕三条の隣に、この村はあります。農業なら、特別栽培米「伊彌彦米」の栽培面積が4年でおよそ3.7倍の253.9ヘクタール(2020年度)になり、この米から酒やビールが生まれています※18。

家と仕事/コウノトリ(Iターン)/家を建てるか買う。田んぼのそばの住まいと降り立つコウノトリ、道の先に見える町工場を描いた場面。特定の実在の住宅や工場の外観を再現したものではない。
図2 コウノトリが降りる家(※19)

来た者と迎えた者の話は、この村のいちばん古い層にもあります。神代の時代、天香山命が日本海を渡って野積海岸に上陸し、住民に塩の作り方と網や釣針を使う漁法を教え、この地に鎮座して農耕の技術を授けたと伝えられています。そこから村は「越後文化発祥の地」といわれ、彌彦神社の門前町として栄えてきました※20。海の向こうから来た者が知っていることを分け、迎えた者が受け取って根づいた。村のいちばん古い話はコウノトリの側の話だと、私は読みました。隣の富山県の高岡市も、市民憲章で「越中文化発祥の地」と名乗っています※21。

弥彦村で子どもが育てる菊と押す燈籠|村長が「離れて初めて気づく価値」に数えた祭り

三つ目の柱は、子どもが育てる菊と、押す燈籠です。

2026年3月5日の村議会で、丸山浩議員は2024年11月の村民アンケートを読み上げました。10代の75%が弥彦は住みやすいと答え、理由には「歴史や伝統がある」が22.5%。この先も今の場所に住み続けたいと答えた10代は50%で、議員はこれを、住み続けたい思いが10代でもかなり強い、と読んでいます※5。

同じ日、教育長は、国の重要無形民俗文化財の弥彦燈籠まつりで「子ども燈籠押し」を学校の行事として位置づけていると述べました。議員は、小学校の菊づくりを続けるため、指導者を育てる費用が新年度の予算に新しく入ったことを挙げています※5。その菊づくりは2012年に始まりました。毎年の菊まつりで作り手の高齢化により出品数が減り、栽培の技術を次の世代へ引き継ぐという課題からです。4年生は春から、新潟県菊花連盟弥彦支部「清香会」の指導を受けて一人一鉢を育て、その菊は2024年も菊まつりに出品されて彌彦神社の境内に飾られました。13年間の活動は2024年11月に「第29回新潟県環境賞」の環境教育・学習部門を受け、広報に載った4年生の言葉は「毎年、4年生が菊を育てられるのは弥彦だけだと思います」※22。

議員が、こうした郷土愛の教育がUターンやIターンにつながっている一面ではないかと問うと、村長は、燈籠まつりや菊まつりをはじめとする祭りと人の温かさを挙げ、「当たり前だけれども当たり前ではない、こうした日常の中の豊かさは、離れて初めて気づく価値でもある」と答えました。弥彦で生まれ育って進学や就職で村を離れても、心の片隅でいつも弥彦を思う気持ちが、いつかUターンや地域貢献のきっかけになることを期待する、と※5。

村長が名指しした祭りの日付はこうです。7月24日から26日は弥彦燈籠まつり。25日の夜、大燈籠と田楽燈籠が二基の神輿の前後に連なり、1キロ以上の灯の列が2時間あまりかけて町を一巡して、拝殿の前に戻ります※23。11月1日から24日は、彌彦神社の境内で弥彦菊まつり。4千鉢が並び、約3万本の小菊の大風景花壇が組まれます※24。神社の外苑にあたる弥彦公園の来場者は、5月のひと月で9,600人、11月は294,600人でした(2019年度)※25。

菊まつり/11月1日から24日/4千鉢。白と淡い黄色の大輪の菊の鉢が庭に並び、遠くで顔の見えない小さな後ろ姿の子どもたちが眺める場面。実在の神社や施設の外観を再現したものではない。
図3 菊まつりに並ぶ菊(※26)

冬は、隣の寺泊の観測点の平年値で、1月の最低気温が氷点下0.1℃です※27。村の移住の案内は、積雪量はあまり多くない地域だとしています※14。

受け継いで続けることを施策に書いた町もあります。秋田県の大仙市は、1895年から雄物川と玉川で続くサケのふ化放流を、「地域の財産」として受け継ぐとしています※28。稚魚の放流を継ぐ市と、菊の作り手を継ぐ村。どちらも、受け継いで続ける側の一年です。

村長が離れて初めて気づく価値に数えた菊まつりで、作り手の高齢化で減っていく出品を、技術ごと受け継いでいるのは、一人一鉢を育てた4年生です。2012年に始まった菊作りの13年目、2024年の菊まつりでも、その菊が境内に飾られました※22。

私の見立て|弥彦村は、帰る人と来る人に別の名を付けて待つ村

3つの柱を、モノサシに戻して並べます。決まりでは、二つの名で分けた相手への補助が、1年目は当初の枠を超え、2年目は補正で足された。家と仕事では、来る人に、使えると分けられた空き家と燕三条の隣の仕事がある。子どもの一年には、村長が離れて初めて気づく価値に数えた燈籠と菊があり、子どもはその燈籠を押し、菊の技術を受け継いでいる。与謝野町の川と田んぼにも、弥彦村の要綱にも、鮭とコウノトリがいます。どちらも、町と村が自分の言葉で書いた魚と鳥です。

私の見立てはこうです。弥彦村は、帰る人と来る人に別の名を付けて待つ村。海を渡って来た者が塩と漁と農耕を教えたと伝わる村が※20、いま、どちらかが40歳以下の夫婦と子育て世帯を、サケとコウノトリの名で待っています※1。2024年4月に250万円で始まった当初の枠は、最初の1年で610万円使われ、2年目は400万円の枠に、2026年3月の議会で580万円を足しました※29。

帰る人と来る人/別の名を付けて待つ村。菊の鉢がある家へ続く田んぼ脇の道、川のサケと田んぼのコウノトリで、帰る人と来る人を待つ村を象徴した場面。
図4 帰る人と来る人に、別の名を付けて待つ(※1)

弥彦村を数字で見たい人へ|人口・仕事・冬・助成金の要点

項目 数字
人口 7,401人(2026年1月1日)※30
世帯 2,836世帯(同)※30
製造業で働く人 27.0%(2020年)※16
農業・林業で働く人 7.0%(2020年)※16
観光客 260万人(2019年度)※31
1月の最低気温 −0.1℃(寺泊・平年値)※27

移住と住まいの助成(2026年9月時点の村のページ)

人口の推移と年齢別の出入りは弥彦村の人口ページに、暮らしのデータは弥彦村のページにまとめてあります。助成金の金額と条件は年度で変わるので、申請の前に村の現行ページで確かめてください。働く人の割合は2020年の国勢調査(住んでいる場所で数えた値)、昼と夜の人口の比は同じ調査をもとにした当サイトの集計、気温は隣の長岡市にある寺泊観測点の2001〜2020年の平年値で、観光客と公園の来場者は2019年度、空き家の戸数は2018年度の数字です。

出典リンク集

本文の※番号に対応する資料です。括弧内は資料の頁・年と、確認した日付です。1つの番号に資料が複数あるときは「 / 」で区切っています。

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