2万4千株の庭を、ボランティアと町職員の手で植えた町|東神楽町に移住して、種まきから加わる暮らし

公開日: 2026-10-09
東神楽町/町内外の手で庭を植えた町/①花壇と苗を用意する/②庭をつくる/③得意なことで育てる

北海道東神楽町の花の始まりには、蚊とハエが登場します。町が伝える1958年の話は、こうです。「昭和33年に始まった「明るい農村建設運動」や 「蚊とハエのいない北海道建設運動」などの住民運動から、環境整備に合わせ花も植えられてきました。」※1

それは60年以上前の話で、いまの花のまちの大きな庭は、誰かがきれいに整え、住む人は眺めるものだと私は思っていました。

ところが、2024年、町内外のボランティアと町職員は、新しい「はなのわガーデン」に2万4千株の宿根草を植えました。認定こども園の園児も、その花植えに加わっています※2。

では、なぜ、東神楽町では庭を見に行く人のほかに、庭をつくり育てる人の出番があるのか。

答えは、村の時代から花壇づくりの手ほどきがあり、町が苗を育て、住民の花くらぶが手入れの場を広げ、はなのわでは得意なことで加われる活動を続けているからです。

この記事では、自治体と国が発表している一次資料を読んで見えてきた、花壇と苗を用意する、町内外の人で庭をつくる、できた庭を得意なことで育てるという3つの柱を、仕事や住まいの要点も交えて解説します。モノサシは一つだけ。花のある場所で、住む人は何を一緒にしているか。締めくくりに、私の見立てを置きます。

東神楽町の花づくりの始まり|花壇を教え、公共の花壇の苗を育てる

一つ目の柱は、花壇と苗を用意することです。花壇づくりの手ほどきは、村と農業改良普及所から始まりました。1964年、まだ村だった東神楽で指導が始まり、翌年には種子やレンガ、ブロックを用意する手助けが行われています※1。

花壇づくりを教える仕事に続いて、花を植える場所も増えていきます。1966年に町になり、翌年には学校や公民館などの公共施設にも花壇が普及しました※1。

花を植える運動は、花だけを扱っていたわけでもありません。1968年に全町へ広がった運動には、生活環境整備、花いっぱい、保健衛生、体力づくり、道路愛護という5項目がありました。同じ年、花づくりグループ「ひまわり会」が20名で誕生します※1。

花壇をつくる単位は、町内会にも広がります。翌1969年には、市街地の町内会ごとに独自の花壇が設けられました。ひまわり会の会員は、1979年には250名になっています※1。

花を植える場所に加えて、町は苗を育てる場所も用意します。公共の花壇に植える苗を育てるため、1979年には町営育苗センターが建設されました※1。

花壇と苗を用意する/種子/町営育苗センター。大雪山を望む平らな田園と、花苗を育てるハウス。人物は小さな後ろ姿。
図1 花壇と苗を用意する(※1)

公共の花壇のために建てた育苗センターから、町民にも苗が渡るようになります。1996年に移転新設され、翌年には町民向けにパンジーの還元販売が始まりました※1。

東神楽町の人がつくる庭|道端の手入れから、2万4千株の共同植栽へ

二つ目の柱は、町内外の人で庭をつくることです。苗を植える住民の仕事は、近所の道沿いにも続きます。2020年、道道沿いの植栽帯をきれいにしようと住民有志が「花のまち花くらぶ」をつくりました※3。

ひじり野西公園付近での2022年の活動を振り返った会員の一人は、仲間が増えて作業が以前よりずっと早く進むようになったこと、コキアを植えた公園で「見違えるほどきれいになったね」と声をかけられる機会が増えたことを挙げています※4。

きれいにしたい気持ちはあっても、どうしたら良いか分からない人のところにも、手入れの輪を広げたい。2023年の抱負には、同じ会員が「手伝ってほしいところに出向き、花植えまでをお手伝いする活動を始めたいと思っています。」と話しました※4。

近所で花を植える仕事を続ける人たちの活動は、大きな公共の庭にも広がります。2024年、新しい複合施設はなのわの前に庭をつくることになり、6月21日から28日までの植栽には、町内外のボランティアと町職員延べ200名以上が参加しました※2。

植えたのは、200品種以上、2万4千株の宿根草でした※2。宿根草は、冬を越して翌年も育つ草花です。

町内外の人で庭をつくる/宿根草/植栽。宿根草の大きな庭で花を植える人々の小さな後ろ姿。遠くに田園と山並み。
図2 町内外の人で庭をつくる(※2)

最後の仕上げにも、別の手が加わります。6月28日は、認定こども園ここからの園児が花を植えました。翌29日には約30名のボランティアが仕上げを行い、植栽が完了しています※2。

できあがった庭では、植栽をデザインした人が参加者と一緒に歩き、「ここまでの規模のガーデンをボランティアと町職員の手でつくり上げたのは全国でも初の試みだと思う。これからも愛着を持ってガーデンを育ててほしい」と話しました※2。

その庭も、花くらぶの手入れの場所に加わりました。2025年、花くらぶは全国花のまちづくりコンクールで優秀賞を受けています。主催団体の報告は、15名が約350mの植栽帯などを手入れし、花苗の提供など行政の支援も受けながら、新しいはなのわガーデンへ活動を広げたことを挙げました※3。

東神楽町で庭を育てる暮らし|花を植える人の隣で、道具小屋をつくる人

三つ目の柱は、できた庭を得意なことで育てることです。植栽の翌年、2025年の春には、はなのわガーデンサポーターの活動が始まりました。冬にも月に一度集まり、小さなクリスマスツリーなどをつくっています。2026年2月には、廃油を使ったエコキャンドルと雪のキャンドル560個をつくり、庭に灯りの小道を設けました※5。

雪が解けると、手を動かす場所は外へ移ります。2026年4月6日、午前9時から11時の最初の活動として案内されたのは種まきでした。活動にはどなたでも参加でき、予約は不要。持ち物は飲み物と手袋でした※5。

春から手入れする場所には、花やハーブ、野菜を育てる「かぐらっき~の庭」があります。はなのわ前の植樹マスや芝生の草取りも活動の一つ。育てた植物を収穫してハーブティーやブーケをつくるワークショップも、春の活動内容に入っていました※5。

ハーブは、苗でなく種から育てることにしました。2026年6月号が伝えた春の活動では、種類を豊富に選べ、成長する苗に愛情もわくという理由で、ハーブを種から育てています。種まきには卵のパックを使い、育った苗は、ビニールポットの代わりに新聞紙で作った手作りポットへ移しました※6。

新聞紙のポットはそのまま土に植えられるので、ごみが出ません。根を触られるのが苦手な植物にも向く方法で、まいた種のほぼすべてが苗に育ちました※6。

苗を育てる仕事のそばで、別の得意を持つ人も動いています。ガーデン管理に使う大きな道具の置き場を頼まれた男性チームは、ガーデンハウスの横に道具小屋をつくりました※6。

得意なことで育てる/苗/道具小屋。卵のパックと新聞紙の苗ポット、手作りの木の道具小屋。人物は後ろ姿。
図3 得意なことで育てる(※6)

小屋を頼んだ花のまちづくり推進室が、活動で一番目指しているのは、それぞれの得意なことで仲間と楽しい時間を過ごしてもらうことです。できあがった小屋には、「ボランティアで作っていただいたとは思えない出来栄えです」と言葉を寄せました※6。

私の見立て|東神楽町は、町内外の手で2万4千株の庭を植えた町

花のある場所で何を一緒にしているかに戻ると、最初は、花壇の作り方と植える苗を用意する仕事でした。次には、近所の道から公共の庭へと手入れの場所が広がりました。庭ができたあとには、植物を育てる経験に加えて、ものを作る得意も使われています。

私の見立てはこうです。東神楽町は、町内外の手で2万4千株の庭を植えた町です。2026年の春、その庭では種をまく人のほかに、道具小屋を建てる人も加わりました※6。

1958年に始まった「明るい農村建設運動」や、蚊とハエをなくす住民運動をきっかけに植えられた花は、いまも、住む人が手をかける花壇に続いています※1。

町内外の手/種まき/道具小屋。種まきの作業台と木の道具小屋がある庭。二人がそれぞれ種まきと小屋づくりをする後ろ姿。
図4 町内外の手(※6)

東神楽町を数字で見たい人へ|人口・交通・住まいと移住支援の要点

人口と世帯数は2026年8月末の町広報の数字です※7。

項目 数字
人口 9,536人※7
世帯数 4,414戸※7
役場から旭川市中心部 約11km※8
役場から旭川空港 4km※8

人口の推移は東神楽町の人口ページに、暮らしのデータは東神楽町のページにあります。表の人口は町広報の月末値で、人口ページの国勢調査の値とは時点が違います。交通の距離は町の2024年1月更新の案内です。助成金の金額や要件、活動の日程は年度ごとに変わるので、申請や参加の前に現行の町の案内で確かめてください。

出典リンク集

本文の※番号に対応する資料です。括弧内は資料の頁や時点と確認日です。

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